ショパン作曲、前奏曲op.45、バラード2番、スケルツォ1番、ソナタ2番
Luigi Nono作曲、“...sofferte onde serene...“、“Djamila Boupacha“、“A floresta e jovem e cheja devida“
ピアノ:マウツィオ・ポリーニ
10月13日:サル・プレイエル
奥にみえる白い屋根がサル・プレイエル.
手前左はNicolas Feuillatteという日本でも有名なシャンパンの店 実は、この日はミンコフスキ指揮のオペラを観たかったのだった.しかしチケットが取れなかった・・・ そういうことで、世紀の巨匠ポリーニの演奏会を聴きに来たのだった.そういえば20代前半の頃は録音を聴いてポリーニすげーっ、とか熱狂していたなー・・・.
さて、この日もサル・プレイエルだったが、さすがにこの3日では最高の客の入りで席の移動はなかった.サル・プレイエルではPollini Perspectivesと題して定期的にポリーニの演奏会を開いている.地味なものもあれば派手なコンチェルトもある.この日は、その一連の演奏会でも珍しく前半にショパンのプログラムが組まれていた.ポリーニのショパンなんて、誰でも聴きたいに決まっているのだ.そして、恐らくはショパンの好きな人々が集まってきたのだ.後半になにが起こるかも知らずに.ぼくもなにが起こるかわからなかった.しかし、歌や指揮者が出てくるので、現代音楽の小さなコンチェルトなんだろうと思ってささやかに期待していた.
前半のショパンだが、これがすでに衝撃的だった.地味なのだ.メロディーが必要最低限しかみえてこないし、装飾音符のついた音は逆に小さくなる.重音が大切にされて、整えられた和声を中心に音楽が構成されていく.そして、はっきりしないような表現がシュバシュバと.これはパリの人々には相当うけるような印象だった.派手な音であまい旋律を弾いて、輪郭がくっきりとしたショパンしか自分は知らなかったのですごく驚いた.純粋に音楽的なショパンが存在することを知らなかった.これを知ってしまったらもう普通のショパンは、虚飾にまみれているようにしか聴こえないのかもしれない.前半の最後では、有名なあの葬送行進曲が淡々と進んで行くわけです.最低限の音色+最低限の強弱ですごい表現を実現してです.圧巻は終楽章.もうなにも言えず.

後半は、Nonoという作曲家で、事前に録音されたピアノの音と生のピアノで共演するという実験的とも言える音楽.ここではこれでもか、というくらい固い音が連発した.ちょっと疲れた.しかし、もういい歳になったポリーニを思うとこのチャレンジはすごいと思った.後半2曲目の前に惨事は起こった.ピアノが袖へと移動したのだ.ここで一部では拍手が起こった.勘のいい人はここで、もうピアノは出てこないという事を察したのかもしれない.
さて、次にでてきたのは一人の女性だった.舞台の真ん中に立ったので、次の曲の解説でもするのかと思ったらなーんと独りで歌いだしたのだ! まあ、現代音楽のしかも独奏ソプラノなので曲想は推し測って欲しいのだが、このあまりのすっとんきょうさに笑い出す観客多数.驚いてかあきれてか知らないが観客が帰る帰る.どんどん帰る.そして、最後の3曲目は、金属の鉄板がぶら下がっているのが5個、人が4人くらい、クラリネット、指揮者による演奏だった.このときすでに客席は空席が目立つようになっていた.これがまた衝撃的な音楽で、特に声(歌じゃない)がすごい.でもすごく強いメッセージが伝えられている感じだった.相変わらず帰っていく人は続出.しかし一方で、笑ったり文句言ったりしている人を注意する観客が現れ始めた.これは演奏の終わりになるに従いエスカレートし、おばちゃんたちがけんかになるのじゃないかと真剣に心配になった.演奏を肯定する派のおばちゃんとおねえちゃんたちは演奏終了時になんだか意気投合していた.パリの本性を垣間みた気がした.