Sorrows and Tears

これからはもう少しガンバも弾いていこうかと.
しまった。フィッシャーが来る。
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先日、新宿で(・・・)ミンコフスキを聴いてきましてその話は別の機会に書きますが
このときもらったビラの中にフィッシャー、ハイドンフィルの告知が入っていた。
自分の日頃のリサーチ不足を恨んでしまった。
なんで知らなかったんだろう・・・

日本全国をまわるようなのだが、いちばん近いのはサントリーで平日。
ううん、サントリーか・・・ というのと、
プログラムが時計、ロンドン、トランペット協奏曲というのも
いまひとつひかれない。

すると新潟は
告別、オックスフォード、ロンドンではないですか!!
これは聴きたい!
平日だけどいつものように高速バスで帰ってこれるし。
でも演奏会当日は半日休まなきゃだな・・・
やっぱり無理か。

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パリの人はストレートでこわい 3(/5)
ショパン作曲、前奏曲op.45、バラード2番、スケルツォ1番、ソナタ2番
Luigi Nono作曲、“...sofferte onde serene...“、“Djamila Boupacha“、“A floresta e jovem e cheja devida“
ピアノ:マウツィオ・ポリーニ
10月13日:サル・プレイエル

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奥にみえる白い屋根がサル・プレイエル.
手前左はNicolas Feuillatteという日本でも有名なシャンパンの店


 実は、この日はミンコフスキ指揮のオペラを観たかったのだった.しかしチケットが取れなかった・・・ そういうことで、世紀の巨匠ポリーニの演奏会を聴きに来たのだった.そういえば20代前半の頃は録音を聴いてポリーニすげーっ、とか熱狂していたなー・・・.
 さて、この日もサル・プレイエルだったが、さすがにこの3日では最高の客の入りで席の移動はなかった.サル・プレイエルではPollini Perspectivesと題して定期的にポリーニの演奏会を開いている.地味なものもあれば派手なコンチェルトもある.この日は、その一連の演奏会でも珍しく前半にショパンのプログラムが組まれていた.ポリーニのショパンなんて、誰でも聴きたいに決まっているのだ.そして、恐らくはショパンの好きな人々が集まってきたのだ.後半になにが起こるかも知らずに.ぼくもなにが起こるかわからなかった.しかし、歌や指揮者が出てくるので、現代音楽の小さなコンチェルトなんだろうと思ってささやかに期待していた.
 前半のショパンだが、これがすでに衝撃的だった.地味なのだ.メロディーが必要最低限しかみえてこないし、装飾音符のついた音は逆に小さくなる.重音が大切にされて、整えられた和声を中心に音楽が構成されていく.そして、はっきりしないような表現がシュバシュバと.これはパリの人々には相当うけるような印象だった.派手な音であまい旋律を弾いて、輪郭がくっきりとしたショパンしか自分は知らなかったのですごく驚いた.純粋に音楽的なショパンが存在することを知らなかった.これを知ってしまったらもう普通のショパンは、虚飾にまみれているようにしか聴こえないのかもしれない.前半の最後では、有名なあの葬送行進曲が淡々と進んで行くわけです.最低限の音色+最低限の強弱ですごい表現を実現してです.圧巻は終楽章.もうなにも言えず.

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 後半は、Nonoという作曲家で、事前に録音されたピアノの音と生のピアノで共演するという実験的とも言える音楽.ここではこれでもか、というくらい固い音が連発した.ちょっと疲れた.しかし、もういい歳になったポリーニを思うとこのチャレンジはすごいと思った.後半2曲目の前に惨事は起こった.ピアノが袖へと移動したのだ.ここで一部では拍手が起こった.勘のいい人はここで、もうピアノは出てこないという事を察したのかもしれない.
 さて、次にでてきたのは一人の女性だった.舞台の真ん中に立ったので、次の曲の解説でもするのかと思ったらなーんと独りで歌いだしたのだ! まあ、現代音楽のしかも独奏ソプラノなので曲想は推し測って欲しいのだが、このあまりのすっとんきょうさに笑い出す観客多数.驚いてかあきれてか知らないが観客が帰る帰る.どんどん帰る.そして、最後の3曲目は、金属の鉄板がぶら下がっているのが5個、人が4人くらい、クラリネット、指揮者による演奏だった.このときすでに客席は空席が目立つようになっていた.これがまた衝撃的な音楽で、特に声(歌じゃない)がすごい.でもすごく強いメッセージが伝えられている感じだった.相変わらず帰っていく人は続出.しかし一方で、笑ったり文句言ったりしている人を注意する観客が現れ始めた.これは演奏の終わりになるに従いエスカレートし、おばちゃんたちがけんかになるのじゃないかと真剣に心配になった.演奏を肯定する派のおばちゃんとおねえちゃんたちは演奏終了時になんだか意気投合していた.パリの本性を垣間みた気がした.
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アール・ヌーヴォーと音楽と
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 マーラーの合奏は苦しいものだった.やはりトラだし迷惑にならないようにと思って弾き方を合わせてみたのだが、そうすると弓が足りなくなった.仕方ないので、一応持ってきたモダン弓のBazinに変えてみたらなんとかついていけそうなので、本番はそりも長さもある弓で出ることにした.クラシカル弓をこの本番に合わせて毛換えしたわけだったのだが、急遽モダン弓も毛換えすることになった.
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 幾つかの反省点のひとつとして、自分はウィーン調弦で楽をしすぎたかもしれないと思った.多くの音型が左手を横に動かすだけでとれて、音程も安定するような環境に慣れすぎた.4度調弦は5度調弦ほどではないにしても、全調対応のユニバーサル感がある.すべての音が同じ色で鳴るからなんだかよくわからなくなってしまうのだが、転調を繰り返すような楽曲ではすべての音が同じ色で鳴ってくれないと困るわけだ.これが不思議でしょうがない、と同時に色で音程の是非を判断できないという困難につきあたった.

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 近代の音楽になるにつれ、各パートがいわゆるパーツとして使われるため、最初から最後まで一貫して弾いている、という意識を非常に持ちにくくなってしまう.結果として、曲全体(一楽章の最初の音から四楽章の最後の音まで)を見通して音を出す、というあたりまえの事が相当難しくなる.ハイドンでは無意識に弾いても、自分の出した音がすべて自分にはねかえってくるので気付くのだが、パーツの一つである場合は誤って音楽の流れを変えてしまっても困るのは他のパートであって自分ではないわけだから気付きにくくなってしまう.
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 すっかり頭が古楽になってしまっていて、いわゆる普通のオーケストラでどういう弾き方をすればいいかわからなくなってしまったのだが、ffはsffに、>(アクセント)もsfに読みかえる事が多いようだ.そうすると“>”に該当する音はどの場面で使えばいいのかと悩むが、それは臨機応変に対応するのかもしれない.

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リベラクラシカに行きたかった・・・
 かえすがえすも先週のリベラクラシカに行けなかった事が悔やまれる.スケジュール管理の甘さが引き起こした悲劇なのだが・・・ ベートーヴェンの1番が特に聴きたかった.もうしばらくベートヴェンが演奏される事はないのでしょうから.koyamaくんは行けたのかなあ?

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 今日はマーラーの練習に行ってきます.来週本番なのですが、準備不足でボーイングをロマン派に変更する事ができず、クラシカル弓のまま出ることになりそうです.まあその他、運指があやしいところもあるわけですが、今回エキストラの依頼も楽譜を送ってくるのもあまりに遅かったので仕方のない事.

 自分は、例年インフルエンザのワクチンは打たない派だったわけですが、今年は医療者は打つべし、という風潮に逆らえず水曜日に打ってきました(というか皆で打ちあった).確かにインフルエンザに罹患してしまって、それを拡散させてしまっては罪が重い.とはいえ、すでに1桁台だけれども新型インフルエンザの患者さんと接してきているので、発症しなかっただけですでに体内に抗体ができているかもしれないと思うのであるが.

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広がっていく古楽演奏の世界 2(/5)
ハイドン作曲、“四季”
Sir John Eliot Gardiner指揮、Orchestre Révolutionnaire et Romantique
10月12日:サル・プレイエル

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 パリに行っていながら、レザールフロリザンもルーブル宮音楽隊も聴けないとはなんとも情けない話ではあるのだが、かわりに聴けたのがオーケストラ・レボルーショネ・エ・ロマンティークだ.あらためてすごい名前の団体だ.会場に行ったら、舞台の上は椅子と譜面台と楽器で埋め尽くされていた.これが古楽の演奏会か!? この演奏会のチケットは結構高くて、予算の都合であまりいい席がとれなかった.しかしながらここでも幸運が生じた.係りの人がフランス語でなにかわーっと言って来るので、わかんないよーという顔をすると、たまにしかいない英語が話せる人のところに案内された.自分の席は2階(事実上3階)だったが、オーケストラ(1階席のこと)に移動していい、ということだった.わーい、じゃあ移動しよー、ってことで前日に引き続きまたもやそれなりの席をゲト.

 団員が入ってくると、ほとんどは肩当しておらず、楽器はおおむねクラシカル仕様のようなのだが、出てくる音はなかなかモダン的.なかなか表現しにくいのだが、クラシカルの楽器で背伸びしてロマン的世界に手を伸ばそうとしているような感じ.つまりはしなやかな音楽にはなっていないのだ.世の中には現代の楽器を用いて古典的に弾くやり方もあると思うが、ここではその逆で、古い様式の楽器でいかにモダンな音を出すかを追求しているように感じられた.しかし、ハイドンの四季の編成は大きい.コントラファゴットにフォルテピアノ(1stの手前に配置)、金管楽器ひとそろい、そして歌だ.ちょっと信じ難い.

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 興味深いアプローチとして、歌の伴奏は一般にはチェンバロ+チェロ1本、みたいな感じになると思うのだが、随所でチェンバロ+チェロ+コントラバスになっていた.最初は少し重いかなあ、と思ったが安定感があってそれはそれでよかった.それを弾いていたバスのトップの女性の方はそりのほとんどない弓を使っていて親近感を持った.演奏のせいもあるのかもしれないが、和声的にも近代的で、ブラームスを思わせる場面、ベートーヴェンを思わせる場面がいくつかあった.いつも親しんでいる疾風怒濤期のハイドンとのあまりの違いに驚きと寂しさを感じた. これがいわゆる革命後、というやつか?


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